何気なく薬指に触れ、その時に初めて指輪がなくなっていたことに気づいた。

確かに最近、緩くなってきたことが何となく気になっていたし、実際に外れてしまうことも稀にあった。それでも、そうそう外れることもないだろうし、もしそうなってもすぐに気が付くはずだと思っていた。

でも、もはやいつ、何処で落としたのかまったく検討がつかない。

指輪を買った日のことは今でも覚えている。2012年の11月17日、その日に封切りしたヱヴァQを観に行って、あまりの残念っぷりに、おそらく幽鬼のような目で映画館を後にしたぼくは、そのまま当時は「彼女」だった妻を連れて宝飾品店に足を向けた。見たいブランドのリングを取り扱っているからと入ったその店は、ブランドの正規取扱店とは似た名前でまったくの別店舗だったことにまもなく気付いたが、きびすを返すより先に、バイタリティーあふれる店のおばさまが半ば強引に商品をあれこれ見せてきた。

その中にあった、青いラインの入ったプラチナリング。映画の鬱憤があって衝動買いでもしてやろうかという気の赴きはあったのかもしれない。それでも決して投げやりではなかった。確かに僕はそのリングが気に入ったから自分で選んで買うことにしたのだ。

その流れで妻もマリッジリングを選び、その上「いまならエンゲージリングも対象商品から選べます」という、テレビショッピングのようなパッケージ商法に押しきられ、婚姻前に一式を買うことになった。

半年して婚姻届を出し、それからようやくはめた指輪は、しばらく薬指に違和感がまとわりついたものの、それがなんかうれしくて、何かにつけて右の手でいじくり所在を確かめていた。そうして指輪は次第に体の一部として馴染んでいった。

それから数年して、ぼくにも子どもができた。その頃にはいろいろと事情が変わっていて、指輪を買ったあの日のように、自分に興味がないアニメ映画にもいそいそと付き合ってくれる妻ではなく、ぼくのことより子を一番に考える母の姿になっていた。それは仕方のないことだけども、自分が求められていない感覚は早々には消化しきれなかった。仕事でも配置転換によって夜勤になり、妻子とずれた生活時間帯を擦り合わせるだけで疲弊し、家事も育児も自分なりに思うようにいかない。仕事もつまらなくなった。一言で言えばぼくは軽く病んでいた。

それなりに気に入っていた指輪。婚姻していることの証でもある大切なもの。それを知りえぬうちになくしてしまったことに驚きと寂しさはあったけども、すぐに諦めたがついた。いつどこで落としたのかがわからない。もし外なら雪も降り積もって見つけ出すことはまず無理だ。それでもきっと、本当に大事なものなら、方々手を使って懸命に探すだろう。でも、ぼくはとてもそんな気持ちにはなれなかった。はっきり言えば、どうでもよかったんだ。妻帯者でいることがわかるなら、プルタブでも指輪の役割は十分果たせる。むしろ、今のお前にはそっちがお似合いじゃないのか。何かにつけて自虐するくせがついてしまった。

ただ、なんとなく気に留めていたことがあった。指輪が無くなったのに気付くより遡って丸一日、会社からアパートに戻り、風徐扉を閉めて部屋に向かう途中、まるで聞いたことのない、とても澄んだ金属音がした。その時は鍵かなにかを落としたと思ったが何も無くなっておらず、疑問に思いながらもそのまま帰宅したのである。一応、そのあたりも探してみたが指輪は見つからなかった。

次の日の朝、その場所で指輪を見つけたのは妻だった。寝ぼけながら、同じくぼんやり半覚醒の娘とストーブの前で転がっていたぼくは、どうでもよかったはずの指輪を見るや体中の力が抜けて腹の底から「ああ、よかった」とつぶやいた。ぼくから抜け落ちて、ぼくが諦め投げ出し、妻が拾い上げたものは、間違いなく大切なものだったんだ。妻は確かに変わったが、それ以上にぼくがゆがんでしまっていた。いや、思い返せば妻は変わってはいなかった。ぼくが変わってしまったからそう見えていたのだ。

「愛とはお互い見つめあうことではなく、共に同じ方向を見つめることである」というサン・テグジュペリの言葉があった。例えれば妻はかつてのようにぼくをまじまじと見つめることはなくなり、それにぼくはふてくされてそっぽを向いていただけなのだろう。

朝、妻と娘を見送り、部屋に戻るときに、指輪をはずして落としてみる。指輪の材質と円型は音叉のようで、アパートの低反発材の床に跳ね返ると、やはりあの、美しい音が響いた。これからたぶん、たびたびぼくはそうして指輪を落として、その音を聞くんだろう。自分の中にある愛と呼べるものを忘れないように。