僕は人前で音楽を掛けたりする、いわゆる「DJ」を数年前から始めました。DJは、いまやお店や施設のレセプションだったり結婚式の二次会だったり、みなさんの身近なパーティーでも目にする存在になったかと思います。ただ、実のところ「DJって結局何をやってるの?」と疑問な方もいらっしゃるかと思います。そこで、僕がDJを始めた経緯にふれつつ、僭越ながらDJとはなにかを回りくどくご説明したいと思います。

さて、冒頭から矛盾を振りかざしていきますが、そもそも僕は厳密に言えばDJではありません。音楽を選曲したり、掛かっている楽曲に別の楽曲を被せながら繋いでいくという意味で、「セレクター」や「ミキサー」ということになるのでしょうか。DJとはディスクジョッキーな訳であり、レコードやCDといった円盤を用いなければなりませんが、私はそうではないからです。ディスクの代わりに使うのはパソコンやメモリーの中の楽曲データです。ただ、今やそういったDJはマジョリティといっても差し支えず、ここで述べていることは詭弁の類いですが、後述することに絡みますのであえて記しておきます。

 

ちなみに余談ですが、渋谷のスクランブル交差点がごった返す時などに出動するDJポリスっていますが、あのDJは何の略で何を指すのかが僕には分かりません。なんなんですかね。

 

 

DJがやっていること

 

DJがやることを単純に言えば、その場に相応しい音楽を選んで掛けることなのですが、具体的に何をしているのでしょうか?

まず、事前に楽曲選びをします。例えば結婚式の二次会でDJをするなら、お祝いに贈られるような曲だったり、新郎新婦にゆかりがあったり思い出の曲、宴席が盛り上がってくると求められる、みんなが知っているだろうアップテンポなダンスナンバーなど、とにかく自分の手元にある楽曲(トラックといいます)をしこたま集めます。いわゆる仕込みの作業ですね。

本番になると、とりあえずトラックをどんどん途切れることなく掛けていくのですが、当然考えなしに掛けているのではなく、会場の雰囲気を読んで、そこにフィットするトラックを選び出していきます

まずどんなトラックをどれくらい所有しているのか、その中からどんなトラックを選び抜くのか、さらに持ち込んだトラックの中からどの曲をどんなタイミングで掛けていくのか。ここまでがそのDJの力量を見る上での大部分を占めます。

そして、DJに求められるのはミックス。ただトラックを掛けるのではなく、次のトラックを被せたり交ぜたりする、いわゆる「繋ぐ」という作業です。よく見るDJがヘッドフォンを当てながらつまみや円盤をいじったりしているのは、今掛かっているトラックを聞きながら、次に繋ぐトラックがどんな曲かを確認したり、トラック同士がうまく重なるようにテンポを合わせたり、音量を調整したりしているものです。

そうしてトラックとトラックを繋いでゆき、場の雰囲気を形作るような音の流れを作っていく。これがDJの役割です。

ここまでで「あれ?」と思われた方がいらっしゃるかと思います。「あのキュキュキュってこすって音出すアレはやらないの?」と。アレはスクラッチ(文字通り「こする」意)というもので、やる人もいますが、ここでは触れません。この記事で述べるDJとは違い、DJでありつつ「ターンテーブリスト」という、レコードを再生するためのターンテーブルを楽器として扱う人たちを指します。
※もちろん、ターンテーブリストでなくてもスクラッチプレイをするDJはいますが、ここでは割愛します

 

DJを取り巻く環境の変遷とゲーム小僧がクラブミュージックと出会うまで

 

ここからは僕個人の話も交えていきます。僕がDJというものの存在を知ったのは小学生のころ。小室(TK)サウンドが一世を風靡していたあの時代、DJと言えばもちろんこの方でした。

trf(現TRF)のDJ KOOその人です。

僕のクラブミュージックとの邂逅は後に記しますが、trfがダンスミュージックを流行歌として大衆に浸透させた功績は大きく、僕が本当の意味で初めて「踊るための音楽」に出会ったのはTKサウンドといっていいでしょう。

 

ただDJ KOO氏をとっては、先に述べたようにDJとは「その場の雰囲気に合わせて選曲し、トラックを繋ぐ」という役割ですので、テレビで見るような、演奏される曲が決まっているパフォーマンスの場合は、完全に再生ボタンを押すだけでお仕事が足りてしまいます。それでもなんかやってる風に見せていたあたりは氏のテクニックの賜物でしょう(そのあたりは画像引用元の記事でご本人が語られています)。

当時は分かりませんでしたが、trfの登場で一躍脚光を浴びたものがあります。現在はDJをするのにほぼ必要不可欠なマシンとなった「CDJ」です。
DJとはターンテーブルとレコードでプレイされるものであった当時、パイオニアがアナログレコードの代わりにCDを使ってDJができる「CDJ」を開発。trfのパフォーマンスでは登場したての最新機を4台も並べて豪華なDJブースを演出していたという逸話があります。

参考:SENSORS「DJ KOOが語るキャリア論・個性の引き出し方–TRFとしてのデビューから今に至るまで

ちなみに、パイオニアは当時も現在もカーオーディオ分野を主力とするメーカーですが、そこで培われた「揺れる車内でいかに音飛びさせずにCDを再生させるか」という対振動技術を応用してCDJが開発されたそうです。当時はマシン自体が高価で、手軽に音源が入手できるCDという媒体の強みも、当時ゴリゴリのDJは自慢のレコードコレクションからプレイすることが当たり前だったのでかみ合いませんでしたが、パソコンの普及で一般家庭でもCDからオーディオデータの取り込み、それをCD-Rに焼いてオリジナル盤を製作することが浸透し、それに合わせて一気にCDJがポピュラー化。まさに先駆者(pioneer)だったパイオニアブランドはDJの現場において不動の地位を築きます。

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どのイベントのDJブースを見てもだいたい使用機材はパイオニアです。世界シェアは7割とも。(写真はMNN:次世代を担うEDMスター, MAKJ(マックジェイ)がCamelotの11周年イベント延長戦に出演決定!より)

 

まあ現在のブランド「PioneerDJ」はパイオニア資本ではないのですが、その辺は割愛します。

ロイター:パイオニアがDJ事業を米KKRに売却、人員削減も(2014年9月16日)

 

DJ KOO氏からDJという存在を認知したふくだ少年ですが、当時は(まあ今もですが)根っからのテレビゲーム小僧で、家ではファミコンスースァミメガドライブにセガサターン。そんなわけで当然、アーケードゲームにも目がありませんでした。小学生の時分、保護者の手を引いてゲーセンで遊ばせてもらったものです。

そうして親しんだアミューズメント施設に突如、革新的なゲームが登場しました。

beatmaniaです。

ヤンキーとオタクとゲームキッズで占められるゲームセンターに、まったく水域の違う人々の娯楽であったクラブミュージックが大音量で鳴り始めたことはまさに文明の衝突。そのゲームは驚きをもって迎えられましたが、「指示通りにボタンを押すと音が出て、それが音楽としてシンクロする」という体験は単純明快に楽しく、瞬く間に大人気となりました。

beatmaniaには今日のクラブミュージック界で主軸を担うアーティストのトラックが続々収録され、僕はどんどんクラブミュージックの虜になっていきます。

ちなみにbeatmaniaはジャンルとしてDJシミュレーションをうたっていますが、実際のDJとはかなり違います。ゲーム自体は十数年続けていましたが、DJを始めるきっかけはまた別なものでした。(この隙間については後述します)

そこからだいぶ時をまたぎますが、2012年にiPadが発売。友人が当日、電器店勤務だったのでどんなものか見せてもらいにいったのですが、彼のiPadには「djay」というアプリが入っていて、さわってみるとびっくり。なんとiPadでDJができるんです…!(そういうアプリなので)

「イキナリDJ!」を現実のもととした「djay」

 

楽曲はパソコンが導入されてからはCDを取り込みデータ化して収集管理しており、高校時代から数えるとそれなりの数になってましたので元手には困りません。これまで大量のレコードや高価な機材がなければできないと思っていたDJが、気付けばお手頃にすぐさま始められる時代になっていたのです。

同じく現場でも、CDJが主流化していく過程で、CDだけではなくSDカードやUSBメモリーなどのメディアにも対応。円盤ではなく楽曲データそのものを使ってDJをするというスタイルが広まっていました。さらに、パソコンに専用ソフトを入れて、それを機材と繋いでプレイするPCDJDVSが登場。ここに至ると「レコードやCDを使っていたけれど楽曲データに移行しました」というDJよりは、とっかかりからデータしか取り扱わないという新規層が増えはじめます。

 

このあたりが、冒頭に述べた「DJであってDJではない」というくだりにつながります。今やDJとは特別な人だけの趣味ではなくなりました。しかし、僕個人としては、立派な機材や大量のレコードを所有してようやくスタートラインに立ち、今でも活動を続けている方々と自分のようなDJをいっしょくたにするのは非常に抵抗があります。そのため便宜上はDJを名乗りますが、僕自身のスタンスとしてはセレクターというかたちをとっています(話が面倒になるので大体はDJで通しますが)。

そんなわけでiPadでDJごっこをするようになりましたが、しばらくすると、やっぱり物足りない。機能面では最低限カバーできるのですが、タッチパネルではなく、ツマミやレバーをいじる、フィジカルな操作を自然と求めるようになります。そんなこんなで専用の機材を買い始め、今に至るわけです。

その機材についてですが、DJをするには基本的にプレイヤー(トラックを交互にかけるので最低2台)と、プレイヤーの出音をコントロールするミキサーが必要です。

両脇がプレイヤー(CDJ)で中央にミキサーがあります。これが基本のシステム

 

近年では、プレイヤーとミキサーが一つになった一体型システムも出ていますね。
当然ですが、実際に音を出すためのアンプやスピーカー、ケーブルも必須。フルでそろえるには今も昔もそれなりにお金を積まなければなりません。プレイヤーやミキサーの代わりにパソコンを使うPCDJも、専用ソフト代くらいしか元手はかからないとはいえ、それを実際のDJと同じように動かすためにはコントローラーが必要で、パソコンそのものの値段も考えると安い買い物とは言えません。かつてに比べれば間口はグッと広がりましたが、結局お金はそれなりに掛かってしまうものです。

ただ、今はスマホがあればフォトグラファーを名乗れる時代。DJも同じく、やろうと思えばお手持ちのスマホやタブレット、パソコンで誰でもすぐに始められます。
タイトルに戻りますが、僕がDJになったわけ、それは、「なろうと思ったらすぐになれたから」にほかなりません。なれるならなってみよう、そんな気持ちから何事も始まるのではないでしょうか。存外に簡単なものですよ。

 

 

ぼくがDJになるまで

ここからは蛇足、以下は僕個人のDJバイオグラフィですので表向きに記事はここまでになります。お時間ある方は続きをどうぞ。

僕がクラブミュージックの世界に触れるようになったのは、先に述べた通りbeatmaniaがきっかけです。ちょうど中学1年生。HIROSHI WATANABE、GTS、Monday満ちる、m-flo、Osawa Shinichi、Fukutomi Yukihiro、fantastic plastic machine、sunaga t’ experienceなど、僕のDJとしてのベースを形成したアーティストも多くはここから知り得ることができました。同時期には電気グルーヴや石野卓球、Dancemaniaシリーズ、ジョン・ロビンソンなど、とりあえずジャンルレスに手当たり次第。ちなみに当時出会った、電気グルーヴの「nothing gonna change」は途中に入る「around,around,around you…」というボイスが「ランジランジランジー」としか聞こえないので僕のテーマトラックにしています。

 

高校に入ると自分専用のパソコンができて、これまでMDでやっていた楽曲保存はパソコンで行うようになります。当時使っていたマシンのストレージは40GB。楽曲データ以外にもいろいろと入っていたので、CDを取り込む際にはできるだけ小さいサイズにしてデータ化していました。DJをやってて身に覚えのある方は少なくないと思いますが、これが後々致命傷となっていきます。(詳細は以下の引用で割愛します)

DJ初心者にこそ知ってほしい、最低限の音質の話
uinyan.comより

 

2001年にiPodが登場して、ポータブルオーディオもファイルで聴く時代が幕を開けましたが、当時の僕は流れに逆らいカセットウォークマンを使っていました。高二病真っ盛りもいいところですが、それが思わぬ形でDJをする上で役立つことになります。

カセットへの録音は、片面30分/60分に合わせて余白ができないようパソコンでプレイリストを作り、それを焼いたCDを用いてやっていました。また、カセットなので頭出し再生が時間がかかる&面倒くさい。そのためジャンプ再生をせずに聴くことを考慮して、録音全体の起伏や流れを意識してプレイリストを組んでいました。これらは自分の持ち時間内にプレイを収めて、かつその中でストーリーを組み立てるという、DJの要素に直結します。やってて良かった公文式。

クラブミュージックには親しんでいましたが、実際のクラブは自分とは関係のない世界。そう思っていたので、高校生という時分もあり、足を運ぼうという気になることはありませんでした。しかし高校3年のころ、地元のレコードストアのイベントにFukutomi Yukihiroということで迷わず乗り込みます。

福富幸弘氏

 

はじめてのクラブイベント、完全アウェーの中で同級生が1人いたのでなんとか持ちこらえられましたが、感想としては「居づらい」でした。ただ、たまに自分でも知っているトラックがかかり「あ、これ!」という感覚はうれしかったし、VJを見てればなんとなく間は持ちました。ただ憧れのフクトミ氏がブースに立つ頃には、次の日の遠征(ラグビー部でした)が頭から離れず、早々に帰りました。

 

それから大学入学、クラブイベントとはそれっきりでしたが、2年生のころにひょんなことから再び関わる機会ができました。当時は「underground photographies」という写真サークルに所属していたのですが、僕たちの展示会に、同じ大学に籍を置いていたDJの方が来て、自分が主催するイベントで写真を出してほしいとお誘いを受けます。

現在は青山ZEROで開催の「nagomi」などを軸足に、一大野外イベント「SAWAGI FESTIVAL」のオーガナイザーを務める「TSUTOMU」さんがその人で、彼は弘前というアウェーの地で精力的にイベントを立ち上げていきます。

TSUTOMU氏

 

氏のイベントに協力することでクラブイベントとの距離は縮まり、当時こそ思いもしませんでしたが、今現在お世話になっている方々ともお会いする場がいくつかできていました。ローカルネタになってしまいますが、その頃はMag-NetやORANGE COUNTYなどのライブハウスも会場になっていました。当時はそのあたりの箱でも深夜~早朝に至るイベントができていましたが、今では音の苦情を受けて全面禁止になってしまいました(このあたりの話はまた改めて書こうと思います)。

ただ、その当時はまだアナログ全盛であり(たぶん)、自分もDJには興味はあれども手を出せる環境ではありませんでした。それでも自分の持っていたトラックで、写真展のBGMにするような(つないでいない)MIX CDをつくることは頻繁で、これらの経験が後に「じゃあやってみるか」と思わせる土台になったと考えています。

 

それからしばらく経て、iPadでDJデビューを果たしたという話は先述のことですが、懇意のお店で遊ばせてもらう程度。そんな僕が刺激を受けたのは、友人が企画した同窓会でした。学校単位ではなく、地域のいわゆる「ナンバー中」(僕は第四中学校でした)を中心に学年単位で催した会でして、それが僕にとって公の場でのDJデビュー。当日は僕の他にもう2人、ブースに立ったのですが、どちらもちゃんとした機材を持ち込んでやっています。もともと先に書いたように「フィジカルに操作したい」という欲求はあったのですが、「ああ、やっぱりやる人はちゃんとしてるな」という受け止めがあり、その後まもなく1台目の機材を購入するに至ります。またちなみに、その場にブースで入ったうちの1人とは後に、いっしょにイベントをつくっていくことになります。

同じくその年、僕は結婚しました。結婚式はこじんまりとしたいという反面、お世話になった人が多すぎるということで、招待できない人にもご挨拶したいという意向でパーティーを開くのですが、結果的にはこれが僕の初めてオーガナイズしたイベントとなります。

初めての主催イベント「卵子サミット~そして着床へ~」

 

これまでつながりがある方々を呼べるだけ呼んでアクトしてもらったのですが、これを一度きりのクローズドイベントにしておくのはもったいなかったんですよね。ということで、再び仲間を集めて、その翌年の2014年1月に「Primavista」というイベントを立ち上げます。

Primavistaについてはそのうち改めて記事を書きますので詳細は後に回しますが、回数を経て、自然とかつて、当時は気づかなかったけども実は同じイベントにかかわっていた方々とも懇意になっていきます。イベントを通じて交友関係、協力関係も広まっていきました。クラブイベント万歳。だいぶ回り道もしましたが皮肉にも、自分でオーガナイズしてようやくクラブイベントの楽しみ方がわかるようになりました。

 

それからさらに数年、2016年は個人的にメモリアルな年になりました。
まず、僕がクラブミュージックに触れるきっかけになったbeatmaniaで初代から楽曲を提供、憧れの存在であったHIROSHI WATANABE氏が地元のイベントでゲスト参加。お会いして二言、三言ですが直接お話しする機会ができました。「あなたがいたからクラブミュージックに出会うことができた」と。

CDも持ち込んでサインもいただきました

またこの年には先述のPrimavistaが節目を迎えるに当たり、初の屋外でオールナイトの「レイヴ」形式イベントを開催。かつての「卵子サミット」と同様に、とにかく呼びたい人はみんな呼んでアクトしてもらいましたが、その中にはTSUTOMUさんもおりました。

Primavista FES

実際にクラブイベントの現場に引き入れてくれた方を、今度は自分がオーガナイザーとなってお呼びできたということはいろいろと感慨深いものがありました。

 

ということで、かれこれあり、今日になるまで楽しませてもらっております。
最後に宣伝ですが、来る1/27にイベントを開きますので、ご都合よろしいかたはぜひ遊びにいらしてください。

いっき(七)

 

長々とおつきあいいただきありがとうございました。