大人になりましょう

成人の日ですね(でしたね)。毎年、「荒れる成人式」など各所の様子を見て松の内が明けるのを感じていますが、今年は振袖業者が音信不通になって式当日に予約していた新成人が着物を着れないというトラブルがあり、ほほえましい気分にはなれません。一方で、毎年新成人がやらかしている沖縄では、那覇での新成人逮捕者がゼロだったことがニュースになっており、「お、おう…」としか言えない雰囲気です。

さて、この折に触れて、毎年「大人ってなんだろう」という話題が出るのもお約束です。

いつかの酒席で友人と「雪が嫌になったのはいつからか」ということが話のネタになりました。

僕の住む弘前という地域は市街地でも毎年、1メートル以上の積雪があります。市民は雪片付けという作や業から逃れることはできず、朝昼晩、構わず降る雪の処理に追われます。
雪は厄介者、雪国の住人にとって文字通り目の敵なのですが、子どものころは雪が降ってくると、雪遊びができると喜んだものです。

では、いつから雪が嫌いになるのか。
その友人は「通学でスキーウェアを着なくなってから」という素晴らしい答えを示しました。

地元の小学生はスキーの授業があるほか、単に道端の雪藪に突っ込んだり、寝転がったりして遊びたがるので、多くの児童は上下のウェアを着て学校に行くのです。しかし、いつからか体ごと雪に突っ込んで遊ぶこともなくなり、そのうちに学校へ通うのにモコモコのスキーウェアを着て行っていたことすらも忘れてしまいます。遊びの延長だったはずの雪片付けはいつしか単なる労働へと変わり、そうして、雪が降ってくると、歓声ではなくため息を吐くようになります。こうして雪国の民となるのです。

友人の回答を聞いたとき、私は、これが「大人になる」ということだと思いました。

 

また、端的に分かりやすい「大人像」を示しているのがピチカート・ファイヴの「大人になりましょう」という曲です。

ウゴウゴ・ルーガのピチカート・ファイヴ/ピチカート・ファイヴ(1994年)

 

「ウゴウゴ・ルーガのピチカート・ファイヴ」というアルバムに収録されているバージョンではオリジナルのインスト版をバックに、テレビくんがウゴウゴくんとルーガちゃんに語りかける体の内容になっています。

 

では終わりのことばです、いいですか?「大人になりましょう」。大人と言ってもオヤジやオバサンをイメージしてはダメですよ。つらいことや悲しいことがあっても「まあいっか」って思える人が大人なんですねー。失恋しても「私は大人だ!だいじょうぶ」と考えれば大丈夫!立ち直れます。わかった?大人になりましょうねー。

 

まさに小さい子に「大人ってなに?」と聞かれたときのテンプレートになると思います。

 

前回のポストでは僕が高校生のころからやっていた個人サイト、旧「さよなら日記」に触れましたが、ちょうど成人式の日(正確にはその翌日)にも日記を投稿していました。今読むと少々恥ずかしいですが、手前味噌ながら「どうなれば大人なのか」という問いへのヒントになりそうなことも書いているように思います。

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20050109

寝れないから、せっかくだし日付は変わったけど気分的にはまだ今日のことを書いておこうと思う。

あまり認めたくはなかった大人になる、ということに、逆らいながらも、やっぱり成人式に出てしまうと認めざるを得ない気がする。そういう点で、ぼくは成人式には出たくなかった。やっぱりいつまでも子供でいたいからね。言い方を変えれば汚れたくはない、ということで、やっぱり大人って言うと汚れてしまうイメージがある。分別がつく、というのは見方によっては無茶をしなくなるということで、それはやっぱり、どこかつまらない。

でもね、

変わらないと言われることが好きだった。でも、変わったね、といわれることの方が多かった今日は、そんなに悪い気はしなかった。先生には、「大人になったね」って、あのころは今考えると恥ずかしいことを平気でやってた自分に、そう、「変わったね」って言われて、それで認められた気がした。きっとそれが大人になるということなら、境界線を踏み越えてもいいなって。だから今日ぼくは、大人になろうって思った。

「タイムマシンを買ったら、何回でもあのころに戻るね。」
その目指す、あのころ、ぼくの隣にいた人を今日見た。もう関係ないってわかってるはずなのに、視線をそらす自分に驚いた。「あの人には今でも恋してるけど、今のあの人に、じゃなくて、あのころのあの人に恋してるんだよ。」ぼくの見る先はいつだって過去だった。だからきっと、誰かを好きになったふりをして、それで救われたような気になって、そうやってまたごまかしてる。それがまだ子供のやることだっていうのに、今日やっと気付いた気がした。昔を物差しにしないことにするのは不安だけど、今度会ったあの人の目を真正面から見れるように。だから今日ぼくは、大人になろうって思った。

きっと年じゃなくて、自分の思う大人になることじゃなくて、自分の悪い意味で子供っぽいところを矯正することが大人になることだって気付くこと。回りくどいけど、きっとそれが大人になることだって思う。それに気付いたのが、たまたま成人式の日でちょうどよかった。ちょうどいいし、せっかくだから、今日ぼくは大人になろうって思った。

そんなぼくのことを、大人になったねっていってくれる人が一人でも増えてくれればいいな。
だから今日ぼくは、大人になろうって思ったんだよ。

 

 

この日記を書いてから13年が経ちました。その後、大学は留年してしまったけれども就職して、結婚を経て、昨冬には第1子を迎えることができました。
何をもって大人と呼べるかはさておき、あのころの僕が見たら、今の自分は大人だと感じてもらえるんじゃないでしょうか。そうだといいですね。

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ぼくがDJになったわけ

  1. おがさわら

    私の中の大人の指針は
    怒髪天の「オトナノススメ」内で歌われております。趣味じゃないかと思いますが時間があったら聴いてみて下さいね。

    • randyranzy

      「人生を背負っておおはしゃぎ」っていうのが言い得て妙ですな。子供ははしゃぐのに人生背負う必要がないので!

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