はじめまして、ふくだらんじと申します。
以前、記者職をしていましたが、1年半ほどお休みしておりまして、以来、人様に向けた文章をこれっぽっちも書いてこなかったことに「これはまずい」と思い立ち、このブログをはじめることにしました。

さて、「はじめまして」と書きましたが実は、この「さよなら日記」というブログ、かつてこのインターネットに存在していたサイトなんです。十数年前にも遡りますが、このネット界に「テキストサイト」と呼ばれる個人サイトがひしめき合っていた時代がありました。そんな数多いたサイト運営者の中に、当時、高校生だった私もその一人としておりました。

テキストサイトは21世紀の幕開けとともに爆発的に増えてネット界の一軸を担いました。しかし時代が進むにつれてネットは目まぐるしく変化し、その渦に巻き込まれるようにテキストサイト群はウェブ上から姿を消してゆきました。今ではブログやSNS、動画サイトの個人チャンネルがそれにとって代わったように思います。

そんなわけで「テキストサイト」というワード自体が忘れられている現在ですが、一時代を築いてきたものである以上、今なお語られることもあるのではないでしょうか。
初投稿から今日びニッチになった話題で長々と書くのもどうかと思うのですが、このブログのルーツに触れるようなものになりますので、お時間ある方は少々お付き合いください。

この記事では、テキストサイトブームそのものについてや大手サイトの動向といったマクロなものでなく、ごくごくミクロに、私が青春時代にネットの片隅から眺めていたインターネットと(日記系)テキストサイトにまつわる思い出や私見を記していきたいと思います。

そもそも(日記系)テキストサイトとは

スマホのような機材も光接続やWiFiなどの高速度/公衆無料通信の環境もなかった当時、インターネットの世界に入るには、まずはデスクのパソコンに向き合うところがスタートです。それでも不便なんて思ったことはありません。家に居ながら世界とつながれるんですからね。まさに「Hello World!」。箱の中には無限のスペースと可能性が広がっていました。

当然、世界と交流ができるなら自分も「なにか」を発信したいという人たちが大勢います。
でも「なにか」ってなんだろう?

インターネット黎明期には「○○のホームページ」といういかにもなサイト名で、飼っている猫の写真やら、自身の趣味紹介など、(失礼ながら)割とどうでもいい情報で埋めただけの個人サイトが多々ありました。これらは世界につながる広大な土地(=インターネット)に、とりあえず自分の家を構えようというポーズだったように思います(だからこそ「ウェブサイト」ではなく、〝家〟の意を含む「ホームページ」という呼称が一般的になったのではと思います)。

この時点では、専門性の高いニュースやプログラム、アプリ、フォント、音楽、データベースなどを配布する以外の個人サイトは、積極的に発信するべき「なにか」を持ちえない人たちによる置物に過ぎなかったと推察されます。

その時代からやや進んだあるころ、専門的な知識や特別な一芸がない人が「なにか」を発信する術として「日記」を書き始めます。現在ではSNSやブログで日常を共有することが一般的になっていますが、あの時代でも「個人の日常」は、発信するべき「なにか」になりえたのです

ただ、現在とあの時代とでは状況がやや異なります。SNSやブログのような仕組みがないあの頃、ウェブサイトは自力で立ち上げるものでした。知識と時間と労力、場合によってはお金を費やし、それで発信する日常が、「きょう寝不足~」だの「友達とカラオケ♪」だの、そんな、“ただの日記”であってはならないのです。もっともっと、読む人の目を引く、はっきり言えばアクセス数が稼げるだけの魅力的な内容が求められます。話を盛ってもいいし、いっそ作り話でも、果ては妄想垂れ流しだって、面白ければそれがジャスティス。ルールは無用、ただただ自分や周りのなにかをネタにしてアクセス数が稼げればそれでいいんです。それはどこか切実さを伴う「自身の切り売り」とも言えましょう。
※余談ですが、twitterで散見される「自分の身に(周りに)なんか起こった、やばいからとりあえずこれつぶやこう」という意識に、ここでいう「ウェブでの自身の切り売り」に近いものを、今なお見ることができます。

そんな、一般の人が不特定多数に読まれることを前提にした日記・雑記を公開する「日記系テキストサイト」が、あるころからネット界に台頭してきました。
テキストサイトとは、テキスト=文章をメインコンテンツにするサイトを全般的に指すものですが、この記事で語られるテキストサイトとは、概ねこの日記系テキストサイトのことを言います。
かくして広大な地平に点々とたたずむ置物に過ぎなかった「○○のホームページ」的個人サイトは、「日記」というコンテンツの確立を待って、(内容や質の良し悪しはともかく)真に発信するための場へとシフトしていきます。

そのテキストサイト群、実際にどんなサイトがあって、どういう変遷をたどっていったかはこの記事が明るいですのでご参考ください。

【今更】あれだけ流行ったテキストサイトが何故廃れたのか考えてみる【考察】

オモコロより

 

 

インターネットデビュー:2001年冬~2002年秋

当時の出来事

  • Windows XP発売(2001年11月)
  • 初代iPod発売(同)
  • 雪印食肉偽装事件(2002年1月)
  • 日本のインターネット人口が4,619万5,700人に(2002年2月)
  • P2P交換ソフト、Winnyが2ちゃんねるのDownLoad板から誕生。(2002年5月)
  • NTT東が青森県でもADSLサービスを開始(同)
  • サッカー・日韓ワールドカップ開催(同)
  • ナンシー関死去(2002年6月)

 

さて、ふくだ少年の場合ですが、はじめからテキストサイトを開設するつもりではありませんでした。
高校受験に失敗し、浪人生活を送っていた「中学4年生」の冬、我が家にもパソコンが導入されることになりました。くすぶっていた時分ですので、やたら無駄にクリエイティブ欲が強く、ほどなくしてウェブサイトを立ち上げようと決心。中学時代に仲間内でやっていた交換日記が面白いからウェブで公開しよう!と思い立ちます。

これ、今の時代ならまずいことにできかねなかったのですが、当時は手書きのノートを画面上で読めるくらい解像度の高い画像を大量にアップロードできるほどサーバーの容量はなく、それらの画像を快適に閲覧できるだけ高速度の回線も整備されてませんでした。なにより何冊ものノートをスキャンしてデータ化する作業に気が遠くなり、あえなく挫折。
あのころは仲間と「クソおもしろいからいつか出版しような!」なんて言い合っていた交換ノートですが、もちろんとても世には出せぬ壮絶な黒歴史の塊です。
当時の環境が幸いし、現在まで尾を引きかねないレベルの傷は負わずにすみました。

結局、サブコンテンツだった日記をメインに据え、なし崩し的にテキストサイトを始めます。
時に2001年の12月末。まさに、お化けサイト「侍魂」から巻き起こったテキストサイトブームのさなかでの船出です。

侍魂。1億回ってるアクセスカウンターを初めて見たときはフリーザの「戦闘力530000」以上の衝撃でした

 

ただ、私がテキストサイトの存在を知ったのは、当時購読していた「週刊アスキー」に掲載の、読者応募のテキストサイトを紹介する1コーナーからでした。超大手サイトの存在を知るのはサイト運営を始めてからで、結果的に私は侍魂の〝洗礼〟を受けずに入門した、割合珍しい層になります。

 

このころのテキストサイト界隈と言えば、台風の目であった侍魂に影響を強く受けた、黒背景に行間開けと色つき巨大フォントを多用するサイトがわんさかあり、業界自体がその手のサイトか、そうでないサイトかに二分できるほどでした。侍魂と、膨大な数のフォロワーサイトの存在を認知した私のサイトは、おしゃれ系・女性系サイトの特徴でもある「やたらフォントサイズの小さい白背景」を基本路線に、テキストサイトの主流であったおバカ系のテキストを展開するというものに落ち着きました。

同じ画面サイズでこれだけ違います(左は元祖侍魂、右は元祖「さよなら日記」)

 

この「フォントサイズが小さいサイト」というのは、パッと見できれいに写るのですが、テキストそのものを読ませるサイトにおいては非常にユーザーフレンドリーでありません。それでも割合多く見られた記憶があり、今考えると、「デカ文字を使わない⇒逆にフォント極小にしちゃえ」というところで「自分は侍魂フォロワーではない!」という潜在意識が、がっつり表に出ちゃってたのかもしれませんね。また読者側にもフォント弄りしているか、そうでないかで見るサイトを判別する人が少なからずいたように思います。

そうしてご多分に漏れず私も、凡百とあるフォント弄り系サイトを意識して、真逆のおしゃれサイトを目指します。そのために外観はとっても大事。晴れて2度目の高校受験で合格を果たしたふくだ少年は嬉々として、ウェブデザインを学び始めます。コンテンツ自体は自己顕示欲を散らかした童貞高校生のクソみたいな日記ですが、完全に背伸び状態で「Web Designing」という専門誌を購読し、掲載サイトなどを巡ってはデザインの参考にし、学校の試験前にはもっぱら現実逃避して夜通しサイトのリニューアル作業に充てていました。

背伸びデビューのWebDesigning 2002年2月号

 

同誌は中上級者向けに実践的なソースやコードを紹介しているのですが、雰囲気組だった私の頭に、そんなテクニカルな内容はまったく入りませんでした。しかしながら、記憶している掲載記事もあります。
その中でも特に印象的なのは、あるクリエイターのインタビュー記事にあった「今は〝Love you〟より〝Love me〟を言うウェブサイトが多い」というくだりです。
業界の第一線で活動するウェブデザイナーが言及する意味合いとして、対象はあくまでセミプロ級のデザイナーとその界隈だと読むべきですが、この言葉はテキストサイト業界にもしっくりとあてはまりました。

空前のブームによりテキストサイト業界が膨大になっていく中で、質を伴わない運営者の新規参入も増え、有象無象の雁首が並ぶこととなりました。人気サイトは「誰かに読んでもらおう」という工夫や努力、アイデアがどこかに必ずありましたが、当時の私を自己分析するに、弱小サイトは「わたし面白いでしょ?」と、大して面白くもないテキストを自己顕示欲の赴くまま書き散らしていたように思います。

そこに気付くのはもうしばらくたってから、と言いたいところですが、残念ながら真の意味で理解したころには、もはやテキストサイトからは足を洗っておりました。

ただ、次から次へとさまざまなサイトが登場する状況こそがテキストサイトというジャンル全体の勢いを表しており、ウェブでなにかを発信しようという人たちを後押しする環境を生んでいたことは間違いありません。当時の私の存在も、「枯れ木も山の賑わい」の中の1本であったことでしょう。そこは少しだけ誇りに思っているんですよ。

 

 

サイト運営者間で広がる交流

さて、当時の個人サイトには、必ずと言っていいほど掲示板が設置されていました。
正式には「Building Board System」といい、頭文字をとって「BBS」と表記していました。懐かしいですね。
そのころは投稿した日記に直接コメントを添える機能など、今のブログなどに搭載されている仕組みを自力で組むことが難しく、個人サイトでは総じて掲示板を設置して、そこで感想やあいさつなどのやりとりをしていました(中にはチャットルームまで置くサイトも)。
「ヒット数でキリ番踏んだ人は掲示板に書き込んでください!」という謎風習もありました。

 

この時代、掲示板に書き込みするサイト読者は同業者の割合が多く、「名前」とセットで「HPアドレス」を書き込む欄がありました。掲示板を介してサイト運営者同士が結びつくことも往々にしてあり、文字通り交流の場として掲示板の設置はもはや必須事項でした。

その仲がお友達と呼べるものになったかどうか判別するには、そのサイトのリンクページ(実質、管理人同士で仲が良かったり、おもしろいと思うサイト群の羅列紹介)を見れば分かるものでした。懇意のサイトのリンクページに、自分のサイトの名前があったのを見つけたときの嬉しさは何にも代えがたいものがありましたね。また親交のあるサイトのリンクから別のサイトに飛んで、「知り合いの知り合いは知り合いだ」という具合で、新たな出会いが生まれることも多々ありました。

また、近しくなってくると単なる雑談や内輪だけの会話がしたくなりますが、そういったものは掲示板でやるには不便でして、代わりにICQ、MSNメッセンジャーといったチャットサービスが活用されました。おしゃべりに夢中になって気付くと夜が明けてる、ということもよくあったものです。

 

当時、私が関係していたサイト運営者は男女問わず、同年代はもちろん、もっと上の大学生や社会人も含みました(密に交流していたのは10人ほど)。地域も年齢も離れた方々と接する機会がリアルではほとんどなかった私にとって、彼らとの交流はとても刺激的でした。界隈では一定期間、更新できないときに、そのサイトを代わりに更新する「代打日記」という文化があったのですが(いわゆるサイト同士のコラボ企画なんですが、当然無名サイト同士でやっても内輪受けで終わるという…)、そちらを修学旅行の時にみんなへ頼んだり、コラボサイトも立ち上げたり。

あのころのテキストサイト界隈ではオフ会が頻繁に行われていたようで、有名サイトはオフ会レポート(オフレポ)をこぞってアップしていましたが、零細サイトを運営する地方住まいの高校生には無関係な話でした。
ですが、ちょうどお付き合いのあった方の中に、先に述べた修学旅行の行先にお住まいのお姉さんがいたので、自由行動の時間を使って単身会いに行ったりなんてこともありました。それから仲良しの方から個人的にちょっとエッチな自撮り写真も送ってもらうというウェブ版・隣のお姉さんのからかいスケベ的なアレも…

などなど脱線しましたが、まとめると、テキストサイト隆盛期の個人サイトはそれぞれで大なり小なりコミュニティを形成していたということがいえます。不特定多数に発信するだけでなく、その場を使ってサイト運営者同士が交流するという機能もあったのです。この役割は後に、mixiの出現によってSNSサイトが担うようになっていきます。横につながるという目的に特化し、共通の趣味を持つサイトが登録する「ウェブリング」や「同盟」という仕組み・風習もありましたね。これはmixiの「コミュニティ」が近い役割を果たしていたように思います。
※mixiについては後述します。

とにかく、遠方に住む多年代の方々と親交したことは、テキストサイトの運営をしていたからこそ体験できたことで、高校生という自己形成の時期には大きな価値があったと今でも思っています。

 

お引越し:2002年秋~2004年冬

当時の出来事

  • 小柴昌俊・東大名誉教授と田中耕一さんにノーベル賞(2002年10月)
  • 北朝鮮拉致被害者の5人が日本に帰国(同)
  • 大相撲・貴乃花引退(2003年1月)
  • スクウェア・エニックス爆誕(2003年4月)
  • パナウェーブ騒動(同)
  • 早大スーパーフリー事件(2003年6月)
  • プロ野球・阪神がセ・リーグ優勝(2003年9月)
  • 麻原彰晃が一審で死刑判決(同)
  • J-PhoneがVodafoneに社名変更(2003年10月)
  • 日本のインターネット人口が6,284万4,000人に(2004年2月)

さて、当初は「たくさんアクセスほしい!」と息巻いていたにもかかわらず、ビュワー数はゴミレベルにとどまっていたふくだ少年。当時のテキストを読み返せば、単純に読むに値しないサイトだったことが今では理解できるのですが、伸びないアクセス数に苦慮します。
立ち上げ時にはぐるぐる回るさまを想像して、絶対付けたいと思っていたヒットカウンターも、自ら弱小サイトだと宣伝しているだけの物と化し、まもなく外していました。多くのテキストサイトが参加していたアクセスランキングサイト「READ ME!」のバナーも撤去。

テキストサイトのポータルだった「ReadMe!JAPAN」。このサイトがクローズした2008年2月末がある意味、テキストサイト時代の終わりと言えるかもしれません。

 

そのうちに「うちはアクセス数にはこだわらない」という格好つけた風に見せて、どこからどう見ても完全に「逃げ」のスタンスを確立してしまいます。

なにはともあれ、サイトを立ち上げた「インターネットデビュー」から1年弱。そのころには、自分のサイトは中堅レベルとされるアクセス数にも届くことはないだろうと、身の程をわきまえていました。そんな私でも、先に述べたように交流の輪が広がっていたのでサイトを閉じるという選択肢は全くありませんでした。

さて、個人サイトを開設するには基本的にレンタルサーバーサービスを利用することになります。
テキストサイトを中心に個人サイトの開設需要が高まっていたため、当時もさまざまなサービスが提供されていました。人気があったのはもちろん無料のレンタルスペース。と言うかは、趣味でやっているサイトのためにお金を払うなんてありえないというマインドが強かったのではないでしょうか。あの時代は有料のレンタルスペースはほぼ企業、商用向けだったという側面もあり、ほとんどの個人サイトが無料のレンタルスペースを利用していました。

フリーのレンタルスペースの多くは、無料で使える分、広告の表示を義務付けていました。現在の標準的なブラウザがタブ機能を備えてからはほぼ絶滅しましたが、広告が小窓でポップアップするものや、ページ内に所定エリアに埋め込むものなど、広告のパターンはさまざま。デザインに無頓着なサイト運営者は別として、意識ある運営者は、いかに広告のダサさを感じさせないようにするか(ぶっちゃけると、いかに広告を視覚的に隠すか)、デザインに苦心していました。

私はOCNのPage Onという回線加入者限定のサービスを利用していて(サービスは2015年2月末に終了)、無料かつ無広告という大きな利点がありましたが、容量が10MB(!)と、当時でも少なめな点がネック。そして、今の時代では打つことはなく、当時でも初見ではどこを打てば出てくるかわからなかった「~」(チルダ)がアドレスに入るのも、なんか嫌でした。

無料スペースの多くは必ずと言っていいほどこれ(チルダ)をURLに含んでました

 

また、CGIが使用不可だったため、掲示板は広告入りで既存のデザインから選ぶといったレンタルのものを設置せざるをえませんでした。CGI(Common Gateway Interface)とはウェブサイト上でプログラムを動かす仕組みで、例えばアクセスカウンターや掲示板などを作動するために必要となります。
スクリプトの打ち間違えや定義ミスなどがあるとサーバーに負荷がかかるため、フリーレンタルの業者の多くはユーザー自作のCGIの使用を認めていませんでした。

このため、自作CGI不可サーバーの利用者が自分のサイトに掲示板を設置したい場合は、掲示板レンタルのサービスを利用していました。掲示板を動かすためのCGIが、自分が利用するサーバーでなく、掲示板提供先のサーバーに設置されているので、問題が起きません。ただ、無料レンタルのものはデザインが選べなかったり、広告がついていたりで、外観にこだわっていた私にとっては、かなりのマイナスポイントがありましたが、そこに目をつぶりながら仕方なく使用していました。

一方で、自作CGIが使えるサーバーでは自前でBBSを設置することができます。ハイクラスな(と、個人的に思っていた)サイトではape2というサイトが配布していたapeboard+という、自分でカスタマイズできるBBSを軒並み採用していました。それに憧れ、かつ、広告絶対許さないマンだった私は「自作CGI利用可+無広告」のレンタルスペースを探しましたが、その二つを条件にふるいを掛けると、9割方は有料のものでした。多くの運営者がそうだったように、ウェブサイトの運営にお金を掛けるつもりはなかった私ですが、彗星のように現れたあるサービスにころっとやられます。
ナウでヤングなレンタルサーバー、ロリポップ!です。

 

ロリポップ!は現行する、私も現在までお世話になっているサービスです。
サービス開始は2001年11月。それから1年もすると各所に広告バナーが貼られ、間もなく私の目にも留まりました。

2001年11月
ロリポップ!誕生

2002年1月
お申込み数100人突破

2002年6月
お申込み数1,000人突破

2003年3月
お申込み数1万人突破

レンタルサーバーロリポップ(Lolipop):ロリポップ!の歴史を見てみましょう~^^より

私が加入した時期は2002年の11月ごろで、利用者が二次関数的に増えていったころに当たります。
ロリポップ!の登場によって私と同じく、ウェブサイトの運営に「ちょっとのお金ならかけてもいい」と考えたユーザーが急増したことがうかがえますね。

当時は、CGIが使えるような有料レンタルサーバーは軒並み月額で4ケタと、完全に法人向けのお値段でしたが、(たしか)月額300円で使えるというロリポップ!の価格設定は「全然アリ」で、容量はPage Onと比べて一気に10倍の100MB。おしゃれなドメインが選べて(ピチカートファイブ好きなので迷わずhttp://〇〇〇.readymade.jpにしました)、もちろん無広告で自作CGIもオッケー。レンタル掲示板を捨ててapeboardを使いたいという動機に、その上「引っ越しました」と移転先を旧サイトに残すのにも憧れていたので、ロリポップ!へとサイトを移し、併せてサイト名も変えて再出発することにしました。

このころにはネットでの振る舞い方もなんとなく分かってきて、知り合いも増えていきました。
ただ、その知り合った中でサイト運営を辞めていく方々もちらほらいたり、自分としてもなにか頭打ちになっていくような閉塞感があったように思います。更新頻度も落ちた2004年の1月には、翌年の大学受験を控えて云々というエクスキューズとともにサイトの閉鎖を宣言しています。まあ、なんで閉鎖するの?って、ちょっと構ってほしかったのもあったんでしょうな。その後を見てみたら、1ヶ月も経たないうちにアドレスを変え、しれっと別サイトを始めてました。友達になりたくないタイプの人間です。
そうして始めた別サイトが旧「さよなら日記」でした。結局、つづるのは同じ童貞高校生の日常ですが、前サイトとは打って変わり、耽美に切なげな文体で記すという趣旨になりました。テンション高めのおバカなようで、そのくせおバカに振り切れてなかった痛日記を書くのもいささか疲れたのでしょう。

サイトデザインも、いろいろとチャレンジしてた頃とは異なり、シンプルに落ち着いたものに仕立てました。個人サイト界隈ではひところ、ダイナミックHTMLやFlashなどを駆使した「動的なウェブサイト」が一部で流行していたのですが、それも食傷気味となり、次第にシンプルデザインへ回帰する流れになっていたように思います。個人的にはそれを捉えたつもりですが、単にあるサイトのパクリでした。
先に紹介した専門誌「Web Designing」でも、そのちょうど2年前、私が初めて手に取った号の特集が「“動き”のあるWebデザイン」でした。2年も経つと先端のサイト群はもとより、すそ野のウェブ界隈にあってもトレンドの移ろいがみられるのではと、興味深く思います。

インターネット白書による統計では2002年から2004年までの2年で、国内ネット利用人口は1.3倍になっています。数的には日本人の2人に1人の割合になりました。

インフラ的にはADSLによる常時接続が普及して、一人あたりのネット滞留時間もずっと長くなっていたと考えられますが、一方でこのころからテキストサイトブームの衰退がはじまります。

 

mixiがもたらした平穏と閉じゆくテキストサイトたち
2004年春~2005年冬

当時の出来事

  • mixiがサービス開始(2004年3月)
  • Googleが「Gmail」発表(2004年4月)
  • Winny開発者逮捕(2004年5月)
  • 駒大苫小牧が東北・北海道勢で初の甲子園優勝(2004年8月)
  • アテネオリンピック(同)
  • 新潟中越地震(2004年10月)
  • 新紙幣発行、新渡戸稲造から樋口一葉、夏目漱石から野口英世に(2004年11月)
  • ブラウザ「Firefox」リリース(同)
  • NintendoDS、PSP発売(2004年12月)
  • 楽天、ソフトバンクがプロ野球に新規参入(2004年秋冬)
  • ライブドアによるフジテレビ買収騒動(2005年2月)
  • JR福知山線脱線事故(2005年4月)
  • ドラえもんの声優が一新(同)
  • iTunes Music Storeをはじめ各社が音楽配信サービススタート(2005年8月)
  • 「郵政解散」総選挙で自民大勝(2005年9月)
  • ブログ登録者数473万、SNS登録者数399万に(同)
  • 耐震強度偽装事件が発覚(2005年11月)
  • mixiのユーザー登録数が200万人を突破、4か月で2倍に(2005年12月)
  • YouTubeサービス開始(2005年12月)

テキストサイトを取り巻いてきた熱が冷め始めた原因として「これ」と言えるものはないように思いますが、複数の要因が絡み合った結果、ブームが行き過ぎました。

その要因の一つを挙げるとすれば、mixiの登場でしょう。個人サイトはウェブでのコミュニティ形成という機能を担っていたということを先に述べましたが、そこに特化したSNSという仕組みは、私のような馴れ合いの場を求めていたサイト運営者にとっては素晴らしいアンサーでした。当初は自分のサイトとmixiはそれぞれ別物だという捉え方でやっていましたが、そのうちに自身のサイトを続ける理由が薄れてきまして、そのタイミングでmixiに一本化したと記憶しています(その上でかつてサイトを閉鎖即再開したように一度、mixiを退会して戻るというかまってちゃん行為もやっておりました。どうしようもない)。

日本におけるSNSの草分け的存在「mixi」。現在、私のマイミクたちはまったく息をしてませんが、一人だけ高校の同級生がいまだコンスタントに更新していて逆にホラーでした。

 

かつて、モチベーションを失ったサイト運営者は、それまでに築き上げた持ち家を放棄しなければなりませんでした。サイトの閉鎖は、ウェブ上で発信する拠り所を失うことと同義でした。続ける意欲はないけど、ウェブ上に自分の居場所を一応は残しておきたい、という思いで「放置」を選択する人も少なからずいたと思います。

しかしSNSの登場により、サイトを閉めてもウェブ上で自分の居場所が確保できるようになりました。
個人サイトを持ち家に例えれば、SNSは維持管理が完全おまかせで敷地もほぼ無限遠に伸びるマンションでありましょうか。ちなみに私の地元では、冬場の雪片付けに疲弊した高齢世帯が続々と街中居住の新築マンションに住み替えをしているのですが、同じような現象がテキストサイト群の一部にも生じたように思います。居場所に保険をかけておく意味での放置は不必要になり、個人サイトの淘汰が進んだのではないでしょうか。

 

mixiと併せて、旧来のテキストサイトに転換点を迫ったものの一つにブログの存在があります。今でこそブロガーという存在が確立していますが、テキストサイトの住民から見ると、ブログとは「テキストサイト2.0」的な、別物でなく、あくまで延長線上ものとして映ったかと思います。

ブログという仕組み自体は2003年に誕生していましたが、広まったのは一拍おいて2004~2005年ごろだと認識しています。私も、利用していたロリポップ!が2005年に「ロリポブログ」というサービスを実装してから、管理の簡便さを求めてブログに移行しましたし、同じようにテキストサイトの体を生かしたまま、自主運営のサイトを閉めてブログに移る層もこのころに一定数あったように思います。これも「ウェブ上での自分の居場所」ということに関連します。SNSがマンションなら、ブログは集合住宅のような概念と言えるでしょうか。

今でこそSNSとブログを使い分けたり、SNSでブログのリンク記事を共有するといった融合的な活用が多く見られますが、当時は(テキストサイト運営者の私見としては)それぞれが別物でありました。いつしかその壁が希薄になり、発展解消されたものと、個人的には考えています。

さて、私個人の話に戻しますと、2004年・高校2年の冬から始めた「さよなら日記」というサイトを、ブログ移行を経て、(おそらく)2006年春まで継続しました。終盤を振り返ると、かつてテキストサイト運営者間で築いた関係は片手で数えられるほどに希薄していました。私自身、高校受験~大学入学といった出来事が重なり、他の方々も同様に節目のライフイベントを迎えたり、それぞれのご事情があったりで、テキストサイトから距離をおいたり、引退されたことがあったためです。もちろん、私の周りの衰微もテキストサイトブーム全体の失速と無関係ではないでしょう。

私は大学で所属していた写真サークルのウェブサイトを構築・運営してはいましたが、テキストサイトを下地にした活動はそのころまでに終えていました。

視点を変えて、mixiの利用者推移をみると、完全紹介制のサイト(2010年に紹介制は廃止)でありながらも、2005年8月から同12月までのわずか4ヶ月間でユーザー数が2倍になるという急増ぶりを示しています。これは、これまで述べたようなテキストサイト運営者の移行であったり、もともとウェブ上に滞留していた層の加入では帳尻が合いません。おそらくはmixi自体の認知度の広がりと、2004年6月からスタートしたNTT Docomoの「パケ・ホーダイ」をはじめとする携帯電話のウェブ通信定額制サービスの普及が一つの引き金になり、これまでウェブでの発信、情報共有をしていなかった層が一気になだれ込んだと考えれられます。同時期の統計では国内SNS利用者(約400万人)のうち、2人に1人がmixiの加入者であることからも、その勢いがうかがえるでしょう。

そしてこの年、2005年末には、後にウェブの主軸に成長する「YouTube」が誕生しました。

YouTubeに投稿された最初のビデオ「Me at the zoo」。

そのおよそ1年後にはYouTubeの投稿動画にリアルタイムでコメントを投稿・表示させる「ニコニコ動画」(後にYouTubeに依存しない独立した動画サービスに)がサービスを始め、ウェブ界は本格的な動画時代に突入。テキストサイトは旧態然とした存在へと追いやられて、ひっそりとそのブームを閉じます。

(たぶん)今なお見るテキストサイト文化の残光

さて、前段で述べたように、ウェブはSNSと動画配信サイト、加えて「amazon」や「楽天」などの大型ECサイトが巨大な流れを作り、高速度通信やWi-Fiなどインフラ面での進化を背景に、ネット人口をみるみる増やしていきました。このころにおいては自前のサイトで日記を公開するというテキストサイト文化がほぼ消滅し、表現の場はブログやSNS、動画サイトが担うようになりました。

しかし、歴史は繰り返すという言葉が示すように、今日のネット上にもテキストサイト的なにかがあるのではないかと思ってしまうのです。

実際、変化が目まぐるしいドッグイヤーの世界であるネット界において「ついこの前に流行ったよね?」というものが、第2の波として到来することは、往々にしてあります。

スマホの普及によりネット人口が急増したころ、新規層が面白いと思ってTwitterなどで多数共有されたコンテンツが、数年前に2ちゃんねるなどで話題になったものだったりして“古参”のネット民が「それ何年前のネタよ?」と揶揄したり。単一のサイトであっても、例えばニコニコ動画などで、何年か前に人気があった動画が何かの折に再度視聴ランキングの上位に浮上したり。

そして「YouTuber」という存在も私には、かつてごろごろいたなにかが姿を変えたものではと思うのです。

国内トップYouTuberのHIKAKIN。ネイティブ世代の子供たちにとって「将来の夢」に挙げられるまでの存在です。草薙剛ともお近づきになれる!

 

2012年4月にYouTubeは、視聴数に応じて動画投稿者に広告料を支払う収益化プログラム「YouTubeパートナープログラム」を一般ユーザーに向けて開放します。これにより、人気の配信者は動画投稿でお金を得られるようになり、YouTubeでの広告料を主収入とするYouTuberが生まれます。侍魂が起爆剤となってテキストサイトブームが生まれてからおよそ10年後、新たなパラダイムシフトが起こったと言えるでしょう。

HIKAKINを筆頭とする日本のYouTuberは、かつてのテキストサイトが「日記」というコンテンツを発明したように、「商品レビュー」という誰でもすぐに参入できるコンテンツで人気を確立しました。二匹目のドジョウを狙い、老いも若きもこぞってチャンネルを開設して動画を投稿します。

その結果、広がったのは一握りの面白い人たちを除き、有象無象の配信者が立ち並ぶ、どこかで見たような光景です。自身の顔をさらしてコンテンツを作るのも、かつてのテキストサイトらしい「自分の切り売り」を感じずにはいられません。

テキストサイト時代にアフィリエイトという概念は既に存在していましたが、せいぜいおこづかいになるかな?程度のものでした。基本的にはお金にならないテキストサイトと、当たれば大金を得ることも夢ではないというYouTubeでの動画投稿とでは、もともとの意識付けや在り方は当然違います。それでも動画投稿者についても、どこかテキストサイト的なエッセンスを感じ取ってしまうのです。きっとそれは、テキストサイトにあふれていたあの頃のインターネットが私の中にあるウェブ世界の原風景だからなのでしょう。

 

終わりに

さて、長々とお付き合いいただきありがとうございました。「インターネット老人会」というワードがありますが、この投稿に共感する部分がおありの方は、ほぼ老人会メンバーと言ってもよいでしょう。

いくつ知ってる? #インターネット老人会

NAVERまとめより

この投稿を執筆するにあたってはインターネットアーカイヴのwayback machineを使って自分の過去サイトに会いに行ったのですが、恥ずかしながら文才があると信じていた当時のテキストがまったくの形無しだったり、自分的には繊細な雰囲気を紡いでいたつもりの旧「さよなら日記」では、フラれた彼女に送りつけた逆ギレ勘違いお別れレターを全文公開するという血なまぐさいネットリベンジをかましていたなど、自分自身にドン引きさせられました。「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」とした口にしたシャアもまさに同じ気持ちだったのでしょう。ほんといい加減にしろよな!

それでも変わらず言えることは、今も昔もインターネットは面白いということです。この記事をきっかけに、あのころ通っていたサイトがまだ残っていたり、このブログのように復活していたことを知ることもできました。この記事を書いた時点でネット歴も丸17年になったと考えるとやや恐ろしいですが、これからもいちネット民として、この広い海に泳ぎ遊びたいと思います。

年表参考:
IMPRESS INNOVATION LAB:日本のインターネット歴史年表
wikipedia